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それは本当の「間」が抜けているからなのである。
住まいを考えるとき、この「間」の役割を忘れないでほしい。
茶の間はわれわれにとって、単なる食事室ではないし、もちろん単なる茶室でもない。
しいて定義づけをすれば、家族の団らんの場であるとしかいえないだろう。
茶の間は集会室であり、何にでも利用できる部屋であり、日本人の生活の必需品である。
しかし、茶の間とか床の間というような、日本古来のしつらえは、西洋かぶれの人たちのあいだで、評判が悪い。
そういうたぐいのスペースが西洋にはないからである。
西洋にはない事象をすべて後進性のせいだと思っている人たちは、茶の間とか床の間が西洋にはない西欧語に翻訳できない空間だという理由だけで、封建制の遺物、ないしは前時代的なものと片づけてしまったきらいがある。
茶の間というのは台所の隣にあって、家族が一緒に食事をするところであり、団らんの場である。
食後というのは家族の心のなごむひとときで、親子、兄弟、姉妹、あるいは祖父母、孫を含めて、家族が一室に集まり、お茶を飲みながら語り合うというのは、素晴らしい習慣のひとつである。
だから、茶の間が不要だという説に、私は賛成できないのである。
団らんとは何かといわれても、その実体はよくわからない。
要は家族が集まってなごやかに楽しみ合うことであろう。
無為に時を過ごしたり、何もしないで、ただ家族が温かく一緒にいるという雰囲気は、西欧的な合理主義者には理解しがたいところである。
これは、東洋的な家庭観からくるものであって、団らんという言葉だけでは説明できないものである。
しかし、茶の間の団らんが、いまの言葉でいえば話し合いの場であり、オヤジとの団体交渉の場であって、家族生活のバッファ(緩衝装置)になっている。
住宅の機能としても、茶の間は生活のバッファであって、そこは食事だけでなく、内職のための職場になったり、家計簿をつける事務室になったり、不意の来客のときには寝室になったりする。
いわば万能室であるが、生活全般を順調に運営するには、茶の間のこのような機能はたいへん重要である。
合理主義者なら、生活を合理化して、無為に時を過ごすことはできるだけ避けなければならない、というかもしれない。
しかし住宅などというものは、いわばもともと採算を度外視したシロモノで、合理化の対象にはならないのではなかろうか。
何もしないでいるとか、何をしたのかわからないというのが茶の間での生活であってよいのである。
転職だけが持つ良さ、転職だけが持つ特徴をあなたもきっと理解出来るはず。
